イマジナリーな共和国
「パヴェウ・ヤシュチュクの写真を見ることは私にとって仮想のパヴェウの眼で被写体を見ることに他ならない。いや、正確には被写体が喚起した彼の脳内イメージが、写真を媒介として、私の脳内で再構築されているというべきだろう。
パヴェウ・ヤシュチュクの作品は挑発的で刺激的で視る者を混乱させる。それは蠱惑的であり、不快であり、ドラッグである。
この写真集に収められた画像を表層的にしか視ることができない人々、あるいは深い理解の上で表層的に語ることを政治的に選んだ人々は、ポルノグラふぃ的で病的で差別的な日本文化の歪みを象徴していると批評するかもしれない。それも一つの答えであり、鏡に映し出された、その人の姿なのである。
しかし、少数の賢明な人々は「何故?」と、「何故、パヴェウ・ヤシュチュクはこんな光景をとらえたのだろうか?」と考え始める。
そして、これらのポスターに描かれた「少女たち」のイメージが何を意味するのかと考えるだろう。
[...] 描かれた「少女たち」に性的欲望を高める者も、眉をひそめる者も等しく、未来的にニュートラルなイメージを脳内でデコードし、自分のコンテクストに当てはめている。それは批評的な行為であり、自分が何をどう見るかという政治である。描かれた表現はその意味でも「視る物の鏡像」なのだ。
[...] ポルノグラフィは個人の幻想の中にしか存在しないイマジナリー・フレンドに似ている。日本のオタクは男女共に、表象を入り口としたイメージの王国の住民である。
[...] 我々は現実の世界だけで生きているわけではない。我々はイマジナリーな共和国に生きている。
——永山薫(漫画評論家)、あとがきより節録