©Shinya Arimoto
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土曜の閉廊間際18時45分。幾人かの客が有元に話しかけている。会話は途切れず、果敢にも会話に加わる者さえいる。写真集『TOKYO CIRCULATION』は展示開始直後にファースト・ストックが完売。「今までこんなすごい写真を撮られているとは知らなくて、すみませんでした」と有元に詫びる写真ブロガーとおぼしき客人。アートフォト界にとってはニューカマーでも、写真界にとって、有元は還ってきたヒーローである。

西蔵より肖像』での太陽賞受賞から約8年、その間に東京に居を移した有元は、新たなシリーズに着手した。10年にわたる定点観測的な、足を使った、執拗な、新宿での撮影について聞くうちに、都市=東京=新宿を主題とする「Ariphoto」の影の主人公が路上で生きる人々だということが、事件を解く鍵のように落ちてきた。

俳優よりシブくて憂いのある目を持つ「マサオくん」は、現地に行けば暴れるホームレスで、猫を肩に担いで一輪車に乗る青年は、なぜ猫を担いで一輪車に乗るのかという問いに「自転車だと猫の運動にならないから」と答え、スタッズに埋め尽くされたライダースジャケットを纏ったモヒカンの男は、自分はパンクではなくサイコビリーだと訂正を求める。フィリピンと日本のハーフで25歳にしてホームレス歴10年の佇まいは、年齢を超越したかのよう。洋服をめくって裸の胸をカメラに見せつける女。アルビノの男は内側から発光しているかのよう。社会的な、精神的な、物質的な、あらゆる意味での「弱さ」は、有元の写真の中では、どこまでもクールで、圧倒的に異様で、生き生きとしている。

© Shinya Arimoto, image courtesy Shinya Arimoto
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その視線は、東京・奥多摩での「Tokyo Debugger」で、虫に向けられたものと似ていると言えるかも知れない。生物学に強い興味を持つ有元は、地球は質量的には虫の惑星だという説を教えてくれた。「みんな虫を嫌がって、建物で遮断して、そこに一匹でも虫が入ってくれば、叫んで、排除しようとするけれど、実は虫の世界に生きている」。同じように、蜂の巣を人間は「自然」と考えているけれど、都市だって人間という生物が作った「巣」で、有機的なものだと言う。

「ホームレスにとって東京は住みやすい場所」だ。雨が降れば、地下街やビルの屋根に入ればよいし、棄てられた食べ物も沢山ある。煙草だって喫煙所に残されている。ホームレスは建造物、もとい、街全体を巣に、枕を帽子に、毛布をマントに、ショルダーバッグに....街が彼らを包み込み、彼らはパラサイトが樹木に触手をのばすように自身の生命を街に編み込んでゆく。

© Shinya Arimoto, image courtesy Shinya Arimoto
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新宿はめまぐるしいスピードで変わってゆく。掘り返されたコマ劇場の跡地。新しいビルがそこに建てば、不思議と前のビルのことも忘れてしまう。スクラップ・アンド・ビルド。新宿の路上には、諸行無常の響きあり。満開の桜の木だって切り倒される。「それもいいじゃないか」と有元は言う。「桜が何を象徴・代表しているって言うんだ」「変化は大歓迎」だ。上空からは、更地に残された桜の木が満開。地上では、アオザイを着た女が樹上に立つ。

© Shinya Arimoto, image courtesy Shinya Arimoto
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蟻塚のように広がる都市。構造を持たない、秩序を欠く無尽蔵なひろがり、変化、記憶の重なり、またはあっけない消滅、それが東京。西洋の都市のように計画された、歴史を表層する都市ではない。あるポスト構造主義哲学者が東京を「アルカイック(古代の、原始の)」と表すように、モダニティについて、美学について、私たちは考えざるを得ない。「夜に撮られた東京の航空写真の美しさったらない」。

現代的で洗練された東京を期待して開いた内藤正敏の『東京―都市の闇を幻視する―』に、「なんだこりゃあ」と衝撃を受けた高校時代。二十歳で写真学校に入学し、後に百々俊二に師事した。初期のテーマはチベットだった。乾いた高地を移動するノマドたち。その写真を見れば、彼らの気高さ、強さが圧倒的な美しさで迫ってくる。私たち都会人は、何てひ弱で、卑屈なのだろう。東京人のほとんどが、自らをいまいましく振り返るに違いない。有元も最初はそう思った。しかし「自身の足元」の写真を撮り始めた有元は、路上で暮らす人々にチベットや野生の動植物にみた「原始的な生命のいとなみ」を見い出した。

2011年、東日本大震災の後、過去の作品を見たら「暗かった」ので、有元はカメラを変えた。それからAriphotoはノー・ファインダーで撮られるようになった。写真集『TOKYO CIRCULATION』では、この期を境にレイアウトも変わっている。広角レンズを使うようになったので、有元はより被写体に近づく必要があった。それは、かなりのエネルギーを必要とするのだ、と。彼は都市の変化を喜ぶだけでなく、自分自身を変化させてしまう。

執拗に繰り返される「ネガティブな」イメージへの抵抗感、嫌悪を「暗かった」自身の過去と結びつけるが、それが作品に息づけば、個人の葛藤を超えて、虚無主義への強烈なアンチテーゼとして響く。「みんな、社会の歯車になりたくないとか言うけれど、僕は、自分が東京の歯車になったっていいと思う。」

有元の写真は、物事をひっくり返してしまう。そしてすべてをイコールにしてしまう。人間界・自然界、弱さ・強さ、文明の・原始の、有機の・無機の。Ariphotoは、自身を包み込む「都市」という生態系の循環、変化に貢献することが嬉しくてたまらない有元の、誇らし気な、現代人への讃歌である。

© Shinya Arimoto, image courtesy Shinya Arimoto
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テキスト:小出彩子

エディターズ・ノート:
有元伸也写真展「Tokyo Circulation」
期間:2016年7月2日〜8月3日
会場:禅フォトギャラリー

有元伸也の写真集