浜口タカシは、1931年、静岡県に生まれた。学生時代は画家になることを夢見ていたが旧制中学校を卒業後、関西の写真材料店に勤務。その時に写真に出会いその魅力に惹かれる。1955年に横浜に移り住み小さな写真機店を開業した。翌年の1956年に毎日新聞社がアマチュアカメラマンの幅広い作画活動を通じて社会文化の向上を図ることを目的に土門拳、木村伊兵衛などを理事に迎え結成した日本報道写真連盟に加入。写真技術を学びながら写真家として積極的に取り組みはじめる。1959年4月10日、皇太子(現在の天皇)成婚パレードでの投石事件の記録的瞬間を捉えた写真が雑誌に採用され大きく取り上げられた。これが写真家としてのデビュー作品となり、その後9年間にわたり米軍基地周辺、新潟地震、大学闘争、成田闘争などの事件や問題を撮り続ける。

1968年、ニコンサロンで個展『記録と瞬間』を開催、翌年の1969年には最初の作品集を同タイトルで自費出版した。「記録と瞬間」に収録された「新潟地震」で毎日写真コンテスト内閣総理大臣賞、「米軍基地周辺(タイトルは基地周辺きょうもまた)」で『アサヒカメラ』誌上「日本のすがた」コンテスト最優秀賞を受賞。これを契機に日本写真家協会の会員となり本格的に写真家として歩み出す。1969年には「記録と瞬間」に収録されている大学闘争を撮った作品が注目を集め「大学闘争70年安保へ」が出版される。1971年1月から『日本カメラ』で2年間にわたり23回連載された「アングル」では、事件などの社会問題だけでなくユーモアや風刺を通して人間と社会を捉える視点が評価された。このシリーズは1973年に同社より「ドキュメント視覚」として出版された。1978年、12年間の長期にわたり撮り続けた三里塚闘争を「戦慄の成田空港」として出版。これだけの長い時間を徹して、様々な場所、視点で撮られた写真群からは、戦後日本の激動の姿だけでなく、被写体や事件の核心にイメージをもってして迫ろうとする報道写真家の熱意と感性を知る事ができる。

その情熱は衰えることはなく、1982年に出版された「37年目の再会中国残留孤児の記録」では日本に一時帰国した全ての孤児を撮り収載。1985年には10数年通い撮り続けた北海道の記録を「北海讃歌」として出版した。これらの様々なテーマと並行して30年以上に渡り富士山を撮り続け、近年は加えて阪神大震災、火山の噴火、東日本大震災などを被写体に精力的に活動している。1997年、その長年の報道写真を通じての写真芸術への貢献を讃えられ、横浜文化賞(芸術部門)を受賞した。

2014年12月4日から2015年1月24日まで、タカ・イシイギャラリー・フォトグラフィ・パリにおいて個展を開催。1960年代に撮られた大学闘争のヴィンテージ写真を展示する。

年表

1931 - 静岡県生まれ。横浜市在住
1963 - 日本報道写真連盟横浜支部長
1964 - 全日本毎日写真展総理大臣賞
1965 - 日本写真家協会 会員
1966 - 横浜美術協会会員
1969 - 神奈川二科会会長
1969 - モスクワ国際芸術報道写真展銅賞
1973 - 二科会写真部 会員・審査員
1978 - APA国際写真展金丸賞     
1979 - 第一回日本報道写真連盟賞
1987 - 厚生大臣感謝状(中国残留孤児取材)
1996 - 日本芸術出版社 アマテラス(AMATERAS)審査員 
1997 - 横浜文化賞
1998 - 日本報道写真連盟 東日本本部委員長
2011 - 日本報道写真連盟特別功労賞
2012 - 二科会写真部特別会員・審査員
2013 - 富士山愛好家写真連盟 理事長

主な出版物

「記録と瞬間」日本報道連盟
「大学闘争70年安保へ」雄山閣出版
写真集「ドキュメント視角」「北海に生きる」「富士山天地」「報道写真家の目」「横浜開港150周年記念」 日本カメラ社
「戦慄の成田空港」日本写真企画
「ドキュメント日本」「富士秀麗」横浜市民ギャラリー
「阪神大震災・瞬間証言」照井四郎:共著・朝日新聞社
「祖国に生きる」財団法人中国残留孤児援護基金
「2011.3.11東日本大震災の記録」など多数

収蔵

横浜美術館、横浜市民ギャラリー、川崎市市民ミュージアム 、日本大学芸術学部、北海道上川郡「東川町文化ギャラリー」、中華芸術宮(中国上海)、オデッサ美術館(ウクライナ)、ルーマニア国立美術館 など

Gallery Exhibitions

Publications & Prints

Related News / Blog