加納典明「三里塚1972」
この度、禪フォトギャラリーでは加納典明の未発表作品「三里塚 1972」写真展の開催、また同タイトル写真集を刊行する運びとなりました。
加納典明は1942年愛知県名古屋市生まれ、60年に小川藤一に師事し暗室技術を習得後、62年には東京の杵島スタジオの助手となりました。64年に独立後は、平凡パンチやコマーシャルフォトで活躍し、アサヒカメラ掲載の作品「テオ」が後の直木賞作家、西木正明の目にとまり、公私交えた交流が始まりました。
60年代後半、日本国内では『カメラ毎日』に森山大道の「にっぽん劇場」が掲載、『Provoke』創刊、ニューヨークのMoMAではジョン・シャーカフスキーのキュレーションによる「ニュー・ドキュメンツ」展の開催、この時代に加納は「あくまで写真は(自身にとって)時代に物申し切り裂く道具であり方法論に過ぎなかった。」と語ります。
沖縄嘉手納基地を飛び立ったB52が北ヴェトナムに向け北爆を繰り返し、ビートルズが解散し、ミック・ジャガーがハイドパークで独特の上唇を捲り上げ跳ねていた。学生を始め青年達は社会との係りに実に行動的であった。体制派に対し如何に反体制であることを認識するか。<怒れる若者>を意識下の糧としていた。
ー加納典明写真集『三里塚1972』より
そして同時期、千葉県三里塚にて成田闘争が勃発し、当時20代だった加納も、怒れる若者の1人として、カメラを持って現場に立っていました。数々の写真家がおさめてきた三里塚/成田闘争を、情報や混乱といった当時の不安定な日本の若者たちに蔓延していたキーワードを包括した目線でおさめています。
これは、カメラマンとしての仕事を通し、社会を見つめていた加納独自の視点といえるでしょう。そして、当時とは異なる状況下にある現在も、加納が社会現象と写真を通し見つめていたものは変わらず存在するように感じます。
43年の時を経て初公開となる本作、現場には今も空港路に一軒の土地が係争を二代に渉り続けており、加納は土地に対する人々の人間の奥底の強さに、人と云う実存の果てしなさを念わされていると言います。「時は移り、青年達は今何を考えているのだろうか。此の先憲法九条を命題に青年達は如何なる理力を以て行動するのだろうか」と問う加納の「三里塚 1972」を是非、ご高覧ください。