禅フォトギャラリーは6月23日(金)から7月19日(水)まで、中国写真家・莫毅個展「研究 ̶̶ 紅1982-2017」を開催いたします。禅フォトギャラリーでの個展としては4回目となる本展では、『有紅色的風景(赤い風景)』(1997年)、『紅色電線桿(赤い電柱)』(1997年)、『紅色閃光燈̶̶我是一隻狗(赤いフラッシュ―私は1匹の犬)』(2003年)、『崇子的紅裙子̶̶走過北京(崇子の赤いスカート―北京を歩く)』(2004年)、『有紅光閃現的洛里昂̶̶關於那裡的德軍基地和西班牙要塞(赤い閃光のロリアン―ドイツ軍基地とスペイン要塞)』(2007年)5つのシリーズを中心に構成します。さらに、作家がインターネットから取り出し収集した歴史的事件のイメージや日常風景など、状況の異なる様々な「赤」のイメージをそこに加えることで、会場に集合体としての「赤」を現出させ、「赤」の意義、その象徴するものとは何かを観る者に問いかけます。

時間は飛ぶように過ぎ、今日これらの作品を整理してみると、赤いフラッシュを使わずに撮ったストリートスナップが大量にあることを突然思い出した。1980年代から今日に至るまで、視界に入ってきた赤にことさら注目してきたが、中国において赤がもつ特殊性にも気づいた。他の国でも、革命や社会主義の時期に赤が広く使われてきたが、その時期が去ると赤はすぐに薄まっていった。だが中国では、春聯(新年に門の両側に貼るめでたい言葉の張り紙)や䐁字(お祝い事に際して、赤い紙から喜びの字二つを切り抜いたもの)、爆竹などの民俗文化において、そして通りの看板、のれん、広告など街の世俗文化、さらに家庭で就寝時に使う布団まで、赤は大量にかつ恣意的に出現してきたが、それは政治性を帯びている。7歳のときに首に巻いた赤いネッカチーフ、文化大革命時に手から離さなかった『毛主席語録』、紅衛兵が皆つけていた赤い袖章、入団宣誓の時に面と向かった党の旗、リーダーが亡くなった時に死体にかぶせた赤い布、今日まで街から消えることのない赤い宣伝横断幕…。

赤とは毛沢東時代の「革命」の記憶なのだろうか。それとも情熱、鮮血、戦争なのか。もしくは、目を通して起きる原始的な生理反応なのか。私の作品の中で反復して現れる「赤」̶̶ー それは私が毎回選んだものなのか。それとも混沌の中の赤が、遥か昔に私を選んだのか。

ー莫毅

Artist Profile

Publications & Prints