ジャパン・東京で生きることは旅です。これほど変容が激しいアジアの首都、首都圏はあるでしょうか。多分ないでしょう。私の生を問う旅はこの都市で始まりました。少し遅れ気味の出発でしたが。

もう若くもない或る日、いわゆる現実感の希薄化と麻痺が相乗して進行し、やがて現実全域の荒廃と喪失へと広がりかねない事態に落ち入りました。怯えと不安と焦躁とが先を競い合い、症状をさらに拗らせます。慌ててテレビの電源を切りますが、ついうっかりとカメラに手をのばし、この光学装置の仕組みは何かと……これが私の写真の始まりです。同時に、自ら表現を仕立て語るべきものは何かとかなり綿密に内面を探査したのですが、格別に見当たりません。きっと数年の間にテレビに残らず吸い取られてしまい、リヴィングデッドの仲間入り寸前だったのでしょう。

過ぎ去りし日々への想いを切り捨てる断念と新たな正気が到来した文化の貧者。しかし現在に生成することを写真によって知ることができるかもしれない。外へ表へ街へとその現実と現象へと誘う写真行為が始まりました。時空間の変化に対応する、とても機能的で安全でしかも魅惑的にハンディでホモ・モバイルな装置です。うまく操作さえすれば、私の生の覚醒へ向かう道筋の記録装置となり、五感を磨ぎ研ぎ、知覚をおし広げてくれる信頼ある道づれです。

そんな同伴のカメラとは絶えず対話を続けてきました。常に移り変わる現実と現象の中で、いつか賞味期限が来るであろうカメラワークの技法とその有効性を試行する35年は夢のように過ぎ去りました。しかし、Flash Upの当時から今もって変わらない写真への姿勢と意識形成のスタイルがあります。それは1975年から4 年間のStreet Photo Random の間に培われたものです。とりわけ“snap”という作法は、世に遍在する百聞の情報をお断りしながら、存在の有無が知れない足場を拾い歩くものです。不可避にスリリングな試練、そして素敵な挑発も少なからず頂けるのが刺激となり私を前進させてきました。

しばし瞑目。やはりこの世界は素晴らしいと讃えましょう。そこには未知の不思議と予期しえない驚きが満ちています。それは例え一瞬であれ、あの輝く光の帯が張りめぐらされた天空の下に、全ての存在が肯定と受容へ向かう物語が続きます。

ー倉田精二 <21世紀を生きる方々へ> 2013年9月

Artist Profile

倉田精二

1945年 東京・日本橋生まれ。1974年、東松照明が中心となって開講されたワークショップ写真学校の第1期生として写真を学ぶ。1976年、東京芸術大学絵画科卒業。1980年に「Flash Up ストリートフォトランダム東京 1975-79」にて第5回木村伊兵衛賞を受賞。以降、長年にわたり国内外で精力的に活動し、近年では2017年「Autophoto」Fondation Cartier pour l'art contemporain(パリ、フランス)や2018年「Another Kind of Life: Photography on the Margins」Barbican Art Gallery(ロンドン、イギリス)などの国際的なグループ展にも参加した。代表的な作品集に『FLASH UP』(1980年、白夜書房)、『フォト・キャバレー』(1982年、白夜書房)、『大亜細亜』(1990年、IPC)、『'80s FAMILY』(1991年、JICC)、『ジャパン』(1998年、新潮社)、『Quest For Eros』(1999年、新潮社)、『FLASH UP』(新装版、2013年、 禅フォトギャラリー)、『Eros Lost』(2020年、禅フォトギャラリー)などがある。2020年2月27日逝去。

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