北井一夫「道」
これらの写真は、2005年から2013年12月号までの日本カメラ連載「ライカで散歩」で撮影した写真である。
60歳を超してから遠くへ出かけて写真を撮るのが億劫になり、それではと開き直って歳をとって体力が衰えて初めて見えてきたもの、若いときには見えなかったものを、30年以上も住み慣れた家の近所でも散歩して写真を撮ってみる、というのがそ の連載を始めるにあたっての考えだった。若いときのようにカメラを抱えて長い旅に出ることはやらないつもりだった。
そんなことでいつものように写真を撮っていた2011年3月11日に、いままで体験したこ とのないものすごい地震に襲われた。千葉県船橋市の自宅の本棚や食器棚が倒れガラスが割れて、家の中はめちゃくちゃになった。テレビをつけると震源は宮城 県沖で、大津波が発生した様子をテレビは映し出していた。青森八戸、岩手三陸海岸、宮城石巻、福島南相馬、テレビの被害速報にある地名は、どこもがわたしにとっては40年も前から何度も写真を撮りにかよった村だった。写真を撮るときに親切だった人たちの顔が瞼の奥で蘇った。
遠くへ旅行することを避けていたのだが、いたたまれずに自分の目で確かめるために被災地への旅に出た。場所によっては見覚えある地形もあるのだが、そのあまりの惨状に何も言えずにただ何度もかよって見つづけた。
大津波で防波堤も家も流されてすべてを失った村とか街を歩いていると、地面にはここに道があったという痕跡があり、訪れた人たちがその痕跡の上を歩いて踏み固めてまた道になっていた。その道には命があるようだった。
長い間にいろんな人たちが歩いて、踏み固めてできた道を、わたしは今までたくさん写真に撮った。そういう道といま被災地で見ている道がかさなり、そしてまた私の出生地中国鞍山からの、日本敗戦による引揚者としてのわたしたち家族の思い道のりがかさなるように感じた。
ー北井一夫