この度禅フォトギャラリーでは、チベット生まれ北京在住の写真家・莫毅の個展を開催いたします。莫毅による当ギャラリーでの二度目の個展となる本展では、莫 氏の1980年代の作品を、1987年を分岐点として2回に分けて展示を行います。第1期(2015/4/7-4/22)では《風景》および《父親》の両作品群を23点展示します。これらのシリーズは莫氏が海外で発表する初めての機会となります。第2期(2016年1月予定)の展示では1987年以降に撮 影した代表作をご紹介いたします。

莫毅(モイ, 1958- チベット生れ)は独学で写真家のキャリアをスタートさせた非常に稀有な存在です。彼は1980年代に望遠レンズを用い、街を「掃蕩」するよう な手法で、写真の真実性を模索しつつ自己表現を展開していきました。第1期で展示をする《父親》は彼が初めて撮影した写真のシリーズであり、1980年代 当時の若者から"父"と呼ばれていた人々の、複雑に変えられてしまった人生の模様や異常な人間関係を写真によって表現したものです。《父親》と《風景》彼の写真人生における最初期の作品です。

1987 年になり、莫氏はより実験的な創作に挑むようになります。行き交う人々を多重露光で写した《騒動》で都会生活の疎外感を表現し、《1m,我身後的風景》で は、カメラを首の後ろに固定し、背後の僅か1メートルの距離にいる人々を撮り、六四天安門事件直前の窮屈な空気を記録しました。また天安門事件後に乗車し たバスの車内を撮影した《搖盪的車廂(1989)》に見られる、まるで固まったような雰囲気と不安定感は当時の中国社会や莫毅の心境を反映していると言え るでしょう。彼の写真技術は全くの独学でありながらも、これまで数々の写真の価値観を覆す作品を多数発表してきました。

この度の展覧会を通して中国写真の先駆者の一人、莫毅の1980年代の創作がどのように変化してきたのかをご覧頂きたいと思っております。特に彼に決定的な 変化が訪れたのは1987年でありました。この1987年以前以後の間、莫氏は写真探検家から感情と表現方法との関係を模索する実験美術家へと転向しました。当時の創作活動は、間違いなく彼にとってその後数十年の芸術観を築いた重要な時期であります。本展によって中国の85美術新潮運動史においてほとんど 注目されていなかった「写真」分野に対する再評価、および意義の再発見にまで至ることができるかもしれません。

“この展覧会は私の33年にわたる写真人生の初期の部分である。当時中国は「開放」が始まった当初で、写真というのは花や風景を見ては賛美するというような状況で、サロン写真やモダニズム形式を模倣しようとしていた。80年代の写真界のメインストリームは、美、フォーム、叙情に終始していた。

都市(天津)に引っ越す以前は、大自然という真の風景がいつもまわりに存在していたが、環境が変化して以来、私は大都市の環境になじめず、それをあざけるという意味で、以前に撮った作品に再度目を向けざるを得なくなり、それを「風景」と名付けた。またあえてそのような名前をつけることで、20年近くも中国写真界において田園風景が人気を誇ってきたことを風刺的にとらえている。

もう1つの作品『父親』。80年代当時の若者によって父と呼ばれた世代の人々は、まるで漬け物のように30年以上も瓶の中に置かれていた(その間十数回にわたる政治運動が起きた)。彼らの脳みそと人生は極度の蹂躙と変化に曝されたのである。当時多くの人は彼らの善良な面や、苦しみと忍耐しか描かなかったが、私は彼らの悲しむべきほどに複雑に人生を変えられてしまった様と、人間関係が異常におかしな状態になってしまったのを表現したかった。

これらの写真は中国では孤立している。80年代の10年間、中国どこを見渡しても批判的なアート写真というものはなかった。これらの写真は私にとっても特別なものだ。なぜならその後二度と同じような作品を作ることが出来なかった。1987年の冬以来、私は新たな段階へと向かうことになる。”

ー莫毅

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