橋本照嵩「西山温泉」
西山温泉は湯治客で賑わった。
1974年、当時山梨県南巨摩郡早川町の最西部に位置するこの湯治温泉に行くには、身延線身延駅から富士川の支流早川を、バスで遡って2時間余りかかった。山梨県や静岡県の近郷近在から、そしてそこから東京や埼玉に嫁いだ女衆や出身の男衆たちが、10日間20日間1ヶ月と保養や療養のため自炊して長逗留するのだった。 毎年、同じ顔ぶれ同志、湯の中で唄い踊り食事を共にして暮らすのだった。
私はよく青森県の田沢湖から鶴の湯、妙の湯、黒湯や秋田県の乳頭温泉郷、新潟県の大湯や栃尾又の湯治場に旅した。日常から離れた時間が好きだった。 春は山菜から「精」をもらい、冬は田沢湖高原など「カンジキ」を履いて、朝日に溶ける松葉の雪の水滴を啜って歩いた。
東京の中央線で比較的身近かに行ける「西山温泉」を知って出かけた。木造三階建ての湯治宿の大きな湯舟はタイル張りだったが、就寝前にもなるとあふれるばかりの混みようで、裸の社交場の様相だ。 朝湯に湯の中で腹這いになって日光を楽しむおばさん、昼過ぎの明るい浴 槽で「泳げたい焼き君」を唄う立派な太もものおばさん、「殿様キングス」の「女のみさを」を熱唱するおばさんたち。あけっぴろげで、60代、70代の女性群の肌は若々しく白くまぶしい。
カメラにタオルを被せて、湯気にレンズを慣れさせ、撮影開始!
「カメラマン 一つ唄え」と声がかかる。
2~3日もすると親しくなり、 食事に呼ばれ、部屋の宴会にも呼ばれて、一週間の撮影は短かった。
ー橋本照嵩