梁丞佑、星玄人、ブライアン・セルジオ 写真展「黄昏と晩鐘」
禅フォトギャラリーは2026年8月21日(金)から2026年9月26日(土)まで、「黄昏と晩鐘」と題し、梁丞佑、星玄人、ブライアン・セルジオによるグループ写真展を開催いたします。昼と夜のあわいに立つたそがれ、その境界が訪れたことを告げる晩鐘の音——生と死、現実と幻、喪失と回帰——三人の写真家は、それぞれの「境界線」に立ち続けてきました。大切な友人を亡くし、後悔を抱えたまま歩き続ける梁丞佑、都市の様々な顔を焼き付ける事で、現実に覆い尽くされた自身の無力感や虚無から免れようと、街の混沌を浮遊する星玄人、そして喪失感と孤独に苛まれ、人生の谷に堕ちるブライアン・セルジオ。カメラを手にする三人にとって、写真を撮るという行為はそれぞれの生き方と深く結びつき、写真家と写真というメディアの関係性を静かに物語っています。異なる場所、異なる方法、異なる想いで撮られた三つの視点が交差するとき、写真が持つ、「あっち側」と「こっち側」を繋ぐ力が浮かび上がってくることでしょう。 また、三人それぞれの新刊写真集の刊行を記念し、会期中後半の9月19日(土)には禅フォトギャラリーのディレクター マーク・ピアソンが聞き手を務め、作家三人とトークイベントを開催いたしますので、是非お運びください。
梁丞佑『君はあっちがわ、僕はこっちがわ』
1998年の夏、歌舞伎町でダンボールを敷いて夜を過ごしながら撮影を続けていた梁丞佑は、隣で寝ていたごん太という名のホームレスの友人ができました。ごん太の中で世界は二つに分かれていたーー帰る場所があるか、ないか。それだけで「あっちがわ」と「こっちがわ」。異なる側に立ちながらも、二人の間には静かな友情が芽生えました。梁はごん太の生き様をレンズに収め、その言葉と姿を作品として刻み続けることで、隔てられた二つの世界に橋を架けようとしました。その想いのもとで、2006年に新風社より、そして2011年禅フォトギャラリーより「君はあっちがわ 僕はこっちがわ」シリーズ二冊として上梓しました。
しかしこの20年以上にわたった友情は、ごん太の死によって、後悔という色を帯びることになりました。絶版となっていた二冊の写真集に新たな作品を加え、一冊にまとめた「完結版」として、この度あらためて世に送り出します。写真というメディアの本質にある記録性は、写真家と被写体の間に交わされた感情をありのままに映し出し、時空を超えて息づき続けます。やがてそれは彷徨う二つの心を結びつけ、作品と向き合う者の胸にも、静かにその感情を呼び起こします。
ごん太に『ありがとう』というといつも『こちらこそ』と言ってくれた。その関係に甘えたまま最後まで来た。私にできることといえば、できるだけ長く元気に人生を全うしながら、ごん太の文章と姿をたくさんの人に見てもらって、ごん太が喜んでくれるように頑張ることくらい。それで「彼の世」に行ってごん太に会った時、あの時会えなかった言い訳が少しは少なくなるんじゃないかなと勝手に思ったりもしている。
亡くなった後、顔が見たくても写真がなかった昔の友人がいたのだが、ごん太にはその心配だけはない。
写真家になってよかったと久しぶりに思った。
星玄人『Tokyo Trippy』
カメラを手に、新宿を中心に、時々渋谷や六本木、銀座などへ通いながら、星玄人は東京の様々な顔を焼き付けてきました。写真の中に写っているこの街は夜の巨大な舞台です。そこに登場する人々の物語は、歓声と懐かしさの裏に潜む路地裏の暗がりへと溶け込み、見る者をタイトル「Trippy」のような現実と幻の間にある曖昧な境界線に引き込みます。2014年以降に撮影した作品を中心に、作家が自らセレクト・編集を手掛けた、八年ぶりとなるカラー写真集『Tokyo Trippy』の中より厳選した作品を発表いたします。
きらびやかだが闇も深い夜の街角はネオンの光の如く、行き交う人達が常に点灯を繰り返している。もしこのまま、何事も無く、ある程度の自由を保証される時間が続くのであれば、何時までも曖昧な距離で、無責任に東京の夜を惑っていたい。
ブライアン・セルジオ『Lost and Found』
フィリピン・マニラ出身の写真家ブライアン・セルジオはパンデミック時期から、オンラインのセックスワーカーとの「オープンな関係」により、性産業文化全体が孕む矛盾と複雑さ、その曖昧な魅力に惹かれつつも、次第に創作意欲の枯渇を自覚するようになりました。そこから抜け出そうとした彼は、その後訪れる様々な不幸の余波の中で、写真日記を撮り続けていました。そこで生まれた写真は、いずれも普段の自分から乖離した、繊細かつ鮮やかな無意識の産物です。それらは「Lost」と「Found」の狭間を漂いながら、彼を精神的故郷へと導いていきます。
それは潜在意識への旅であり、今でもなじみのある場所に私を連れ戻してくれた。無視してきた、あるいはただ見ていなかった過去のありふれたディテール。それは故郷であり、思いこがれながらも忘れていた場所だった。




