この度、禅フォトギャラリーは西村多美子写真集『旅記』の刊行記念展を開催いたします。

1987年から2018年までにアジアとヨーロッパで撮影された作品群より未公開の写真を含め、40点の銀塩プリントを展示します。

なお、写真集『旅記』はギャラリーにてサイン本をお買い求めいただけます。

「アジアを旅していると、なぜか懐かしい気持になる。小学校へ上がる前のことだが、あの頃、母から近所の蛇崩川にかかる田端橋を渡ることを禁じられていた。渡った先に車の往来がある広い通りがあるからだ。しかし、向こう側へ行きたくて母に黙ってひとりで遠征するようになった。通りを渡ると、そこには住宅があり、尼寺がある。左手に行くと木々が鬱蒼と茂り、昼間でも薄暗い一画があり、私は「オオカミの森」と名付けていた。さらに進むと、まだ未舗装だった環七通りに出る。さすがに心細くなり引き返すのだが、その境界を超えていく時の期待感と、秘密が隠れていそうな場所が普段の安心できる世界に繋がっている不思議さに、歩いてゆく私は微妙な心地よさを感じていた。(中略)

1993年春、3年間続けた編集の仕事を辞め、夏にポルトガルに行った。大学でポルトガル語を専攻していた友達がいて、話しているうちに、一緒に行くことになった。リスボンからギマランイスまで北上し、その後ポルトから夜行寝台列車で一気に南下してプライア・ダ・ロシャで過ごした。再びリスボンへ戻った時は、道路に落ち葉が舞い季節が変わっていた。このポルトガルの旅で、海外を旅して写真を撮ることの気構えができたと思う。

旅の行先はちょっとしたきっかけで決まることが多い。2010年にはエリック・サティの故郷で、フランソワーズ・サガンの最晩年のヴィラがあったフランス、ノルマンディのオンフルールに行った。子供時代に好きだった怪盗ルパンの家があるというエトルタにも立ち寄った。さらに2011年にプラハに行ったのは、私の大叔父の回顧録の中に『プラハのユダヤ人墓地へ行った』という一行があったからである。また、2013年イタリアのサルディーニャは、米映画で悪党が出身地を聞かれ『サルディーニャ』と答えたのを憶えていたからだった。普段は忘れている何ということもない記憶が折にふれて立ち上がり、旅先へ誘うのだ。」

ー西村多美子『旅記』あとがき「記憶と旅」より

Artist Profile

西村多美子

1948年東京生まれ、1969年東京写真専門学院(現東京ビジュアルアーツ)卒業。在学中に唐十郎率いるアングラ劇団「状況劇場」の舞台に通い、麿赤児や四谷シモンなどを撮影し、復帰前の沖縄へ初めての一人旅へ出る。卒業後、森山大道、多木浩二、中平卓馬というプロヴォーク運動で大きな影響力を持った3人と出会い、1970年まで暗室で彼らの制作を手伝う。1973年にそれまで北海道、東北、北陸、関東、関西、中国地方を旅して撮影したものをファースト写真集「しきしま」(東京写真専門学院出版局)として刊行する。

バイトや雑誌の仕事で旅費を貯め、1970年から80年代にかけて日本各地を旅し、また娘を連れて東京なども歩いて撮影している。1990年代以降は近代化画一化された日本を飛び出して、ヨーロッパ、南米、東南アジアなど海外を撮影した。

西村は写真を撮り始めた68年頃から現在に至るまで、半世紀を超える作家活動歴の間、一貫してフィルムで撮影し、自ら暗室でプリントを制作するという姿勢を変えていない。西村の写真は、詩的でスピリチュアル、そして深く個人的なものである。西村は自身のキャリアを振り返り、「旅の連続」と表現し、遊牧民のような人生観で写真を撮り続けてきた。旅が秘めているものを明らかにする彼女の写真は、旅先で出会う人生の多様な肖像である。

主な出版物に『しきしま』(東京写真専門学校出版局、1973)、『熱い風』(蒼穹舎、2005)、『実存1968-69状況劇場』(グラフィカ編集室、2011)、『憧景』(グラフィカ編集室、2012)、『しきしま 復刻新装版』(禅フォトギャラリー、2014)『猫が・・・』(禅フォトギャラリー、2015)、『舞人木花咲耶姫 — 子連れ旅日記』(禅フォトギャラリー、2016)、『旅人』(禅フォトギャラリー、2018)、『旅記』(禅フォトギャラリー、2019)、『続 (My Journey II. 1968-1989)』(禅フォトギャラリー、2020)等。香港M+美術館に作品が収蔵されている。

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